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負けない努力

せっかくですから、牛島の名言をもうちょっと紹介しましょう。

なんでか分からないけど、考え方が、 えっ、ウシも?
と言うくらい、似てることが多いんですよね。
ウシはプロ野球の勝負の世界、でも、セラピストに通ずる考え方、名言が多いんですよね。

その一つが、「負けない努力」

新人で初先発、初勝利した後、まったく良いとこなしの選手が、スタジオにコンディショニングで来たとき
ちょうど、ウシの家に遊びに行くことになっていたので、その選手を誘って、一緒に行った時の話です。

ウシは、その選手に、 「おまえ、勝とうと思って投げてないか?」
と質問

選手は、怪訝そうに、当然 「はい」
それに対して、ウシが 「だから、あかんのや!」

選手は

ウシが言うには、 「勝とう」と「勝ちたい」は別物
勝つためには、相手チームより得点が上でなくちゃだめ。つまり得点できなければ、勝てない。
投手が打席に立たないパリーグでは、勝とうと思っても、自分ではどうすることもできない。
「勝とう」と言う気持ちは、 「自分一人で、自分がなんとかしなくちゃ」と言う気持ちの表れが多い。
独りよがりは、良いことない。

それに対して、 「勝ちたい」は、チームメイトを信頼すること
チームの一員として、自分の役割を認識できる。
自分だけで何とかしようとするのではなく、チームメイトを信頼しよう。 と、言うことですね。

そして、選手に伝えた言葉が

「いいか、よく聞け。 ピッチャーはな、勝つ努力じゃのうて、負けへん努力せなあかんのや。よう覚えておけ」

すごいですね。
ウシはこんなことも言ってました。
ピッチャーは、相手のタイミングを外すためリズムをわざと崩すことがあるけど、結果はあまりよくないことが多い。
ピッチャーのリズムは、自分のチームのリズムでもあるから、リズムをわざと崩すと、チームの打線も沈黙してしまうことが多い。
本当に良いピッチャーは、リズムが心地いいから、点を取られても、その点差をチームメイトが跳ね返してくれる。
点を取られても、負けがなかなかつかないんです。って

(そう言えば、昨年、とてつもない記録を作った、すごい選手がいましたね。アメリカでの活躍、期待したいですね)

逆にリズムが悪いと、少得点の1点差で、負けがついてしまうことがよくある。って

例外はありますけどね。
いっつも、本当にチームメイトを信頼し、リズムよくひたすら投げ続けている姿に、チームメイトが逆に力が入りすぎて空回り。勝ち星をつけてくれないんですよ。(泣)
でも、よ~く、見ると、そんな選手でも、序盤で崩れベンチにもどると、そんな時に限って打線が爆発して、負けを消してるんですよね。たいてい別の投手に勝ち星が行っちゃうんですけど...

「負けない努力」セラピストも大切じゃないですかね。

負けない努力は 「守る努力」 でもあります。
「期待する結果にしてやる」はまるで敵意剥き出し。
童話、北風と太陽の、北風のような感じですね。

まずは守ってあげることからはじめたいですね。


「何をするべきか」の前に、 「何がしてあげられるのか」から
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長所は短所、短所は長所かも

長所、短所という表現も最終的にはどのように利用できるかがポイントとなります。
大切なことは、自分の傾向を把握できていれば、対応の準備も、場面によっては利用することもできるかも。
社会的問題となっているストレスの対応も、先ずは自分自身の傾向を踏まえ準備することの重要性が指摘されています。

プロ野球の投手は決め球と称し、大切な場面になると最も自信のある球種に頼ることが多いと言います。
この傾向を利用し打者は、その球種を待ち、逆に利用することも多いそうです。

反対に決め球と称すほどの自信のある球種を持ち合わせないと認識している選手は、自分の状態、相手との対戦結果、更にその時点での相手の状態を総合的に判断し球種の選択を行うそうです。

この話は、そう、天才 牛島和彦の弁
ウシ(いつも通り呼ばせてね)の、19歳時の取材を回顧して書かれた記事が昨年末に、あるスポーツ紙に載ってました。
タイトルが、酒、タバコ、おんなの三冠王
さすが・・・ それはいいとして
そこに書かれていたのが、高校時代にはほとんど、フォークボールを投げていなかったという記事。

その理由が、高校生相手に大人げないでしょう 

それがプロに入り、自分にはウイニングショットと呼べるようなボールはない。って...

自分より優れている相手が存在するのが当たり前と認識しながら、決して自分が劣っている存在とは考えてはいない。

長所、短所と言う視点ではなく、相手との関わり合いから最も適切であろう行動を選択する。
100%と言うことはないから、傾向、状況を十分に利用しようとする姿勢。すごいですね。

とかく、良いだとか悪いだとか決めつけることが多いもの。
セラピストとしても同じですね。
良いとか悪いの前に、目の前の事実はどんな意味を持っているのか考え、どう活かせるかが大切ですね。

ウシのエピソードは、ホント面白い。そして、考えさせられます。
良かったらぜひぜひ、「偶然を必然に変える投球術」読んでみてください。

期待と希望

医療の世界は”絶対”と言う言葉は、なかなか使えないんですよね。
100%必ず期待する結果になるか?となると、科学が進歩したとは言え、なかなか言えるものではないんです。
では、ある程度で諦める?
”諦める”…嫌な言葉ですね。
この”諦める”は、心の痛みなんですよね。
カラダの痛みがあるように、心の痛みも大切に扱わなくてはいけませんよね。
心の痛みは
一つ目は、自分自身の時間を失う痛み(時間存在の損失)
:将来の夢や希望、そして目標が失われてしまう苦しみ。
二つ目は、自分自身での決定権を失う痛み(自律存在の損失)
:自分自身の思いや意向が受け入れられることがなく、すべてが周りによって決められてしまうような苦しみ。
そして、三つ目は、独りぼっちになってしまう痛み(関係存在の損失)
:社会とのつながりや、家族・知人が居なくなってしまう苦しみ。
と言われています。

”もう無理でしょ?”
”自分ではどうしようもないでしょ”
”誰も助けてくれないよ”
そうなんです。”諦める”は、心の痛みそのものなんです。
「諦めないで」って言うのは簡単ですけど、ある意味無責任になりやすいですよね。
心からそう思って、一生懸命その思いを伝えていても、相手にどう伝わるかも問題ですものね。当事者でないと、本当のところその苦しみは分からないですし…
自分もセラピストになって間もなくから、ずっと考え、悩んでいました。どうしたらいいんだろうって、どう思いを伝えたらいいのかって…
そんな時、ある施設で患者さんとのやり取りを聞いた時、衝撃を受け、大げさでなく、しばらく肌が粟立ち、おさまらなかったことを今でも覚えています。
かなり前になりますが、学会に参加するため英国に立ち寄り、とある施設を見学させて頂いた時のことです。
そこは、入院生活を含め、ありとあらゆることのマネージメントをする方をキーパーソンと呼び、看護師の方が数ヶ月交代で看護業務は行わず、課題を解決するべくキーパーソンとして患者さんの対応をしていました。
幸運にも、入所したばかりの患者さんへの対応を見学させていただけ、やり取りの一部始終を見させて頂けました。
患者さんは、交通事故、それも相手の過失で、ご本人に非は全くない事故だったようです。しかし、脊髄を損傷され下半身の自由が全く効かないカラダになってしまい、検査の結果、元に戻ることはないと診断されました。
入所して2週間、「もとのカラダに戻してくれ。元のカラダに戻れるんだったら、何でもやる。元のカラダにもどるためでないなら、絶対やらない」と言い張り、時間だけが過ぎていたそうです。
その方に、担当のキーパーソンは予想もしなかった言葉をかけたんです。

「元のカラダに戻りたいと言う思い、希望はどうぞお持ち下さい。
今、この瞬間も、あなたのような境遇の方を元のカラダに戻してあげたいと、研究に打ち込んでいる方々が世界中に沢山います。
いつの日か、素晴らしい治療法が確立されるかもしれません。
ですから、私には、元のカラダには戻らないなどと言える資格も、そんな権利もありません。
その思い、希望は大切にお持ち下さい。
ただ、残念ながら、現代の医療では、元のカラダに戻すことは不可能なんです。
あなたは、この施設で過ごすことのできる期間が決められてしまっています。今のまま時間だけが過ぎてしまい、ここを去る時に、このまま何も変わらない、そんなあなたの姿を、私は見たくないんです。
どうでしょう。元のカラダに戻りたいと言う思い、希望は大切にしながら、今、できることを少しずつ増やして行きませんか。」
こう話しかけたのです。少し時間が過ぎ、その患者さんは、「このカラダで何かできることがあるの?」と聞き返しました。
それを聞き、キーパーソンの方は、にっこり微笑み、「その質問に答えてくれる専門家を集めます。直接にお聞きになりませんか?」
と告げ後日、本人を含めたカンファレンスの日を決めていました。

素敵ですね。
希望は、希な望み
期待の”期”は約束と言う意味があるそうです。
つまり、期待とは、約束を待つと言うことなんです。
一つ目の心の痛み、”夢や希望を失わせたくない”を、みごとに踏まえた言葉で、「諦めないで」って、その思いを伝え、同時に、約束はできないことを、しっかりと明言し、伝えていますよね。
約束が果たされなければ、期待が裏切られれば失望につながります。
それも踏まえての言葉です。
「現実を受け入れてください」と言う思いも、頭ごなしの命令ではないですよね。
そして、自ら「何ができるの?」と、言葉を引き出したことにより、二つ目の心の痛み、”自分自身の意向や思いを失わせたくない”を、みごとにおさえています。
さらに、三つ目の心の痛み、”独りぼっちじゃないよ”に対しては、「このまま何も変わらないあなた姿を、私は見たくないんです。」に現れていますよね。
つい「あなたの問題でしょ。自分がやらなくちゃ何も変わらないんだよ。頑張らなくちゃ。」なんて出てしまいます。変わって欲しいと言う思いは一緒なんですけど…
キーパーソンの方は、「私は…」と言葉にして、当事者ではないから、本当の苦しみは理解できないけど、でも、あなた一人ではなく、自分も一緒に向かい合おうとしています。つまり、”一人じゃないよ”を含んだ言葉なんですよね。
”諦める”じゃなくて、”今を受け入れる”と言うのは、とても難しいこと。でも、受け入れることがなかなか出来なくても、向き合うことができると、自分の心とカラダを大切にできるようになるんですよね。
満足かと言うと、満足ではない。でも、今の時間と、これからの時間を大切にできるし、自分の周り、周りとのつながりも大切にできる。そして、何より自分で作ってしまっていた苦しみからは開放されるんですよね。
そのためにも、希望は大切なんです。
苦しみの根源が改善できれば一番ですが、あまりにも固執し過ぎてしまうと、せっかくの大切な時間を奪ってしまうことにもなりかねません。
時間泥棒にはなりたくないですね。
だからこそ、期待させるわけにはいきませんが、希望だけは失って欲しくないんです。
セラピーは、正しいことを言えばそれでいいと言うものではありません。従わせることだけではないんですよね。
自分の中の葛藤を自分で治めるためのお手伝いも大切な役割。
そして、今、これからの時間を大切にしてもらえますように。
明日、元気になれますよ〜に

どんなことするの?

これまでに聞かれた質問は、
「いがく療法士って何?」
って、理学療法士なんだけど…~(・・?))
「すみません。ちのう訓練室はどちらでしょう?」
って、機能訓練室なんだけど…
などなど、
で、一番良く聞かれる質問が
「一体どんなことするの?」
無理もないですよね。
セラピーは、最終的な目標は以前も記したように、”今の自分自身の心とカラダ、そして、社会とのつながりを大切にして、精神的、肉体的、社会的苦しみから解放できるように促してあげること”、ですけど、具体的にと言うと、幅がありすぎてあげ切れませんものね。
色々なセラピーがあって、それぞれのセラピストが居るのもそのためです。
で、セラピストの一人である山口は、じゃぁ、どんなことするの?と言うことになりますが、山口は理学療法士で、特に運動器系の対応を得意としています。その対応の仕方が、自分では極々普通の全く特別ではない対応と思っているんですが、どうも周りからは特別に見えるらしいようです。
たぶん、個別性を大切にしているからかもしれませんね。マニュアルはもちろん大切にしますが、人それぞれの違いがありますからね。
それと、もう一つが、山口が使う手✋の操作かもしれません。
良く、「マッサージですか?」「整体ですか?」って、聞かれますが、
マッサージは、この手技だけで資格制度があります。やり方も、色々あって、軽擦、揉捏、按捏、叩打、圧迫、把握などなど、それはそれは奥が深いんです。
整体も、一括りとして扱われてしまっていますが、それはそれは、いろいろな手技や手法があり、修得するにはとても努力が必要となります。
残念なことに、日本では国家試験制度にはなっていないこともあり、真剣に修得された方々と、そうではない方々の実力差があまりにも大きいようですね。
国家試験制度に合格していたら安心かと言えば、そうでもなく、国家試験に合格したは、単にスタートラインについただけで、その後の努力が大切なんですけどね。
もちろん、同じ理学療法士の中にも徒手療法を専門とされ、マッサージ、整体とは異なり、それぞれの方法で日々努力されている方々がいらっしゃいます。
しかし、いずれにしても、山口はマッサージ、あるいは整体、徒手療法のスペシャリストなんて、絶対言えません。マッサージ、整体関係、徒手療法の方々に失礼です。
ただ、「人の動き」に関しては、一応、スペシャリストの一人であると思っています。「人の動き」は心理的側面だけでも、肉体的側面だけでも不十分。双方の関わり合いを基本にすることが大切です。
心の動きもカラダの動きも、カラダに表れる変化をもたらします。
ですから、カラダに表れた変化から、心の動き、カラダの動きを予測することも、逆に、心とカラダの動きから、目では確認できないカラダ内に起きている状況を推測することもできます。
筋の緊張が確認できても、その理由は多種多様です。
作業による物理的な負担の影響。心理的な緊張。関節の微妙なズレ。運動に際しての危険察知による警告の結果。循環系、内科系の問題。構造上の問題などなど…
それを判別するためにも、手✋の操作が必要で、その操作からまた起きる、心とカラダの動き(変化)から何が必要かを予測しているんです。
だいたい
”ふるふる” ”トントン”
”キュゥ〜”  ”ふわ〜” 
 ってところでしょうか。
言えることは、あまり我慢させると言うことはありません。
対応している間に、寝てしまっている方は多いですけど。
(これも心とカラダの動きなんですよ。)
最適な刺激強度を探しているとも言えるでしょうね。
その強度からまた、どのような影響が疑われるか推察したり…
山口の手✋の操作は、何がいま最も適切か探っている操作
つまりは、カラダと会話しているようなものです。
言葉の会話と同じで、今まで理解してもらえなかったことを理解してもらえたり、理由や、これから何が必要かがおぼろげながらでも分かってきたり、何よりも一人で抱え込んでいたものを一緒になって向き合ってもらえるのはどれほど心強いか…
山口の操作はここからスタートしています。
心とカラダの負担を少なくさせて、今から、少しずつでも良くなってもらえるように
あした元気になれますよ〜に

素敵な手

先日、セラピーの後
「素敵な手」って、言っていただけました。
素直に、とても嬉しいですね。
カラダはとても素直で、W.ライヒの言葉にもあるように
「心の緊張もカラダの緊張も、筋の鎧となって表れる」
まさに、その通りだと思います。
心の負担、カラダの負担はすぐカラダに表れます。
筋の状態が変化するわけですから、表情、姿勢、仕草にすぐ表れるんですね。
心配かけまいとしたり、人に気づかれまいとすると、それがまた、無理な緊張を生み出したりして、作業では考えられない、まばらな筋の緊張を作ったりするんです。
作業の質や量、つまりどれだけカラダに負担がかかったによって生まれる筋の緊張は、その負荷の大きさに比例した刺激が必要となることが多いんです。なので、プロスポーツの選手には、強めの刺激、一般の方はその負荷量に応じて刺激をコントロールした方がいいことが多いのです。
…が、心理的負担から生じる筋の緊張は全く逆。
心理的負担が強ければ強いほど柔らかい刺激でないと良くないんですよね。
それに心理的な問題について、自分から口にできるようであれば、かなりの部分、自分で解決できていることが多いものです。大抵は一人で抱え込んで誰にも話せずにいることが多いんですよね。
時には、頑張りすぎて心の負担になっていることを無視していたり、「そんなはずない」と意固地になっていたり…
なので、セラピスト山口は、「何かありました?」
と聞くこともありますが、カラダの状態から予測してその方にあったタッチを選び対応しています。
何も聞かず、「カラダが悲鳴をあげていました。」と伝えると
「素敵な手」って、言ってくださり、詳しくは話されませんでしたが、「精神的にクタクタだったんです。」と口にしてくれたんです。
本当に嬉しく感じました。
何も解決していませんが、一瞬でも、何も考えず、何にもとらわれず、今の時間を自分のために使えるのは、とても大切です。
キャノン・バードの言うように「悲しいから泣く」こともあるし、ジェームス・ランゲが言うように「泣くから悲しい」こともあるんです。
どちらから始まったとしても、それがまた逆を引き起こし、好ましくない無限ループに陥ってしまうこともあります。
また、カラダの問題が心理的問題を引き起こしたり、心の問題が姿勢や動きを狂わせて、カラダの問題を引き起こすことも…
だからこそ、カラダの問題にも、心の問題にも、カラダのコンディショニングを整えることも大切なんです。
問題解決の前に、問題に立ち向かう準備をお手伝いするのもセラピーです。
頑張りすぎないでくださいね。
そして、
あした元気になれますよ〜に

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